派遣社員は受け入れるのではなく適応する生き方を目指す

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東日本大震災の記憶がまだ鮮明に残っているうちに、熊本を中心にまたしても大きな地震が発生しました。日本で暮らすということ、いやこの地球上で生きていくことがいつも自然の脅威と背中合わせなのだということを思い知らされました。

私たちの命もいつまであるものかはわかりません。好きなことをして生きるのも人生ですし、いつかは花開くと地道な努力を続けるのも人生です。被災者の中にはこれから花が開くはずだった人も大勢いるのでしょう。

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人はただ受け入れることしかできないのか

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わたしは人災に対してはできるかぎり受け止めずに、流してしまうようにしています。いちいちぶつかることがめんどくさいというのもありますが、正義は人の数だけあるわけですから、自分の主張を認めてもらいたければ他人の主張も受け入れる必要があります。

自分の意見を通したいけど、他の人の意見は通したくない。そんな人間が社会において成功できるわけがありません。

ところが自然が相手になると、どうやっても自分の意見を受け入れてくれることはありません。自然のアクションをただ受け入れるしかできないわけです。自然に対して「それは無理」と言っても自然は聞く耳を持ちません。まるでどこかの会社の嫌な上司のようですが・・・

それでも反対に自然の起こすアクションに対して、わたしたちは適応していくことが必要です。傍観するのではなく適応する。

派遣社員という生き方は適応の連続

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派遣社員はつねに職場が変わる働き方ですので、よほどのことがないかぎり派遣先のあれこれに適応する必要があります。

日々の生活でも給料が少ないのであれば、それを受け入れてお金の掛からない生き方ができるように適応する必要があります。

ここでいう適応と受け入れるは似ているようで違います。

受け入れるというのは自分の中に取り込むことになりますが、適応は寄り添うことになります。仕事や生活の納得のいかないものを受け入れるということは妥協ですが、適応するということは妥協ではありません。

常に変わっていく環境に対して、自分らしさを維持しながら合わせていく。これが派遣社員の理想です。

実際に被災者になることを意識する

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いつ自分が震災や天災の被災者になるかは誰にも分かりません。それでも誰もがその可能性があるということは常に意識をしておきましょう。

いま自分が手にしてるもの、すべてを失う可能性がいつもあると考えてください。どんな思い出の品であっても二度と手にすることができなくなるということを、被災者でない状態で考えることはとても難しいことです。

それでもやはり「いつでもすべての家財を失う可能性がある」を前提にして生きていくようにしたいものです。実際に失ったときにただ放心するのではなく、次の一歩を踏む出すために何をすべきかを考えるためにも。

そして常日頃から考えておきましょう。派遣先で働けているいまの安定が永遠につづくわけではないということ。派遣契約の終了は思わぬときにやってきます。天災ではありませんが、派遣社員はそれに対する決定権はありません。

常に最悪の事態を考えて準備しておく。

人災でも天災でも、大切なのはしっかりとした準備、そして適応していくことです。思わぬときにやってくるトラブルには人間性が出てしまいますから、そんなとき慌てず適切な対応ができるようにしておきましょう。

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